タブーを変えていく。

グループホームにご入居中の
男性は 肝臓がんを患っています。
もう何年も前から。

副作用のきつい薬を飲み
頭痛や倦怠感に悩まされながらも
在宅で一人暮らしをしてきました。
人の役に立つこと
人に喜んでもらうことを
してきた人です。

病気は少しづつ
その人の出来ることも
ささやかな楽しみも
奪っていきます。
一人暮らしは限界でした。

小規模多機能による支援から
グループホームへの入居にスライド。
見知った顔のスタッフたちが
毎日のように部屋を訪れます。
『○○さ~ん元気?』
『調子が良ければ小規模のフロアに
遊びにきて~(^^♪ 』
ベッドに寝たまま「お~ぅ」と
手をあげて応じる男性。

軽度の物忘れはあっても
ご自身の置かれている状況は
きちんと理解されている男性です。

身体のあらゆるところに浮腫がまわり
痛みで眠れないのは
病気が悪化しているせいだと思う…
自分はもう長くないよ…
と話されます。
私は言葉を選びながら聞きました。

『 病気がさらに進んだとき
○○さんは、病院に行く方が安心?
それもひとつの選択です。
また、今お世話になってる訪問診療で
痛みを楽にしてもらいながら
ここで生活することもできます。
その時は私たちが身の回りのお手伝いを
させてもらうからね』

しばらくの沈黙のあと…
「 迷惑かけちゃうかもしれないけど
最期までここに居たいな~と思ってる。
それでもいいかね…?』そう言いました。

後日、ご本人の意志をご家族と共有。
方針は決まり、
DNAR⤵
【終末期における心肺蘇生の意志確認書】
の取り交わしを行ないました。



認知症であるというだけで
何もかもが判断できないわけではない。
ご自身の最期をどうしたいのか、
そこには どんな選択肢があって
その先にどんな生活があるのかを伝え
本人の意志を聞いておくこと。
大切なことだと思うのです。

“どんな最期を迎えたいですか?”

介護の現場で、この手の話しは
タブーであるという認識が
これまではあったと感じています。
本人に関わる大切なことが
本人のいないところで決まってしまう。
そういうことが多すぎました…


本人の望まぬ形で最期を
迎えてしまったつらい経験があるから。
意思表示ができるうちに
リビングウィルについて
話し合う機会をつくること、
私たち支援者が考えていくべき
大切な問題だと思っています。